Dream e-college > スペシャルエディション > Dream ワークス > Vol.1 前編 関川竜次さん

Dream ワークス

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株式会社J-WAVE  http://www.j-wave.co.jp/
営業局 営業部副部長
関川 竜次さん RYUJI SEKIKAWA
1968年 7月20日生まれ  東京都出身

1991年3月 早稲田大学 第一文学部 演劇専修卒業
1991年4月 株式会社文化放送入社
2001年8月 株式会社J-WAVE入社

1991年4月、新卒としてAMラジオ放送局の文化放送に入社。CMセクションに配属される。入社後2年半を経て番組制作に異動し、朝・昼のワイド番組を3年担当。そして入社6年目を前にした28歳の時、営業セクションへの異動を命じられる。32歳の時、転職を決意。FM放送局J-WAVEの営業職中途採用に挑戦し、わずか2名の枠の中で採用される。以降、営業セクションで活躍中。

現在、FM放送局の株式会社J-WAVEに勤務する関川竜次さんは、フィールドワークの人だ。小学生の頃から歌舞伎に親しんできた。中学生になると、観るだけではなく、時代背景や舞台となった土地に自ら足を運び、調べることによってさらなる面白さを感じた。その研究を発表することによって周囲から評価されることも喜びだった。

その一方で、小学生の頃、見よう見まねで書いた台本が実際の劇になったこともある。徐々にではあるが、表現することを目指すようになっていた。自分が表舞台に立つのではなく、創る側として作品を総合演出することにカッコよさを感じるようになっていた。

就職活動のとき、AMラジオ放送局の文化放送を選択した理由は明確だった。制作し、表現する仕事がしたいということ、そして人数が少ない会社でなければ自分の能力を発揮することが難しいのではないかということ。これらのポイントをクリアできると実感したのがラジオ局だった。

プロフェッショナルの表現活動を観ることで、自分が面白いと思う感度を育んだ小学校時代。観るだけではなく、フィールドワークの楽しさを知った中学・高校時代。そしていまも活動するサルサバンドにのめり込んだ大学時代。その道程から選択した社会の入口がラジオの世界だった。そして、希望通り制作セクションに配属される。しかし28歳のとき、ジョブローテーションにより営業セクションに異動。32歳のときにFMラジオ局のJ-WAVEに転職することになった。現在は、営業局営業部副部長の立場から、次代のラジオの存在について考える日々が続いている。

「ラジオで生きてきた。これからもラジオで生きていく。だからこそ、ラジオの新しい価値をあらためてみなさんに提示したいんです。自分の言葉で」

「子供の頃から好きだったことを研究したくて大学を選んだ」

編集部
「関川さんにとって、大学とはどのような存在だったのでしょうか」

関川
「研究するところ、とにかく勉強するところだととらえていました。周りには、役者をやったり劇団に入ったり、映画を撮っている仲間がいましたが、僕は一切手を出さず、研究することしか考えていませんでした」

編集部
「研究以外に熱中したものはありますか」

関川
「ラテン音楽のサークルで、来年創立60周年を迎えるラテンアメリカ協会に所属していました。本来は研究することが目的のサークルですが、バンド活動にも派生して、いまも当時のメンバーとサルサバンドをやっています。大学1年と2年のときは、浅草サンバカーニバルにも参加しました」

編集部
「早稲田大学第一文学部演劇専修という進路を選択した理由は」

関川
「実は小学生の頃から祖母に連れられ、歌舞伎をよく観に行っていたんです。そして中学、高校と進む中で、能や狂言、踊りと舞いの違いって何だろうといった芸能史が気になりはじめたんですね。早稲田の演劇専修は坪内逍遥が設立したもので、歌舞伎と浄瑠璃、シェイクスピアの3つしかやらない。実演ではなく、研究することが目的でした」

編集部
「つまり小学生の頃の体験が大学選択に影響していたということでしょうか」

関川
「いま振り返ればそうですね。自分の中ではいくつかの節目で、それまでの延長線となる道を選択してきたと思います」

編集部
「いまにつながるはじめての歌舞伎体験のことは憶えていますか」

関川
「ええ、もちろん。小学3年生の7月です。市川猿之助さんが演じた“加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)”という舞台をはじめて観ました。これは、猿之助さん演じる岩藤が夜中に骨を集めて、もう一度幽霊になって出てくるという物語で、とにかく面白かった。意味が分からないところもあったけど、分からなくていい、分かろうとしなかった。宙乗りとか役者さんの動き、舞台の展開、流れてくる三味線、ドロドロドロといった効果音。ストーリーより何より、舞台全体が面白かったんです。目から耳から楽しめる。役者が生で芝居をする。小学3年生の自分にとって、いまでも忘れられないインパクトがありました」

編集部
「その体験以降、関川さんにとって歌舞伎はどのような存在になったのでしょうか」

関川
「中学に入学後、夏休みの自由研究で歌舞伎をテーマに取り上げました。そして1年のときに銀賞、2年3年では金賞をいただきました」

編集部
「具体的にはどのような研究をしたのですか」

関川
「中学1年のときは、ある歌舞伎の作品の舞台となった現地を訪ねるという内容だったと思います。物語の背景にはどのようなことがあるのか、その作品の舞台が現在どうなっているのか、ということですね。そして中学2年では、“助六”というお芝居を取り上げ、その舞台になっている吉原を訪ねました。当時の吉原の文化ってどうだったんだろうって。研究書に載っている地図を参考に、当時の遊郭がいまどうなっているのかであるとか、建物や壁や堀の位置であるとかを調べたんです。中学3年では、市川猿之助さんをテーマに現代歌舞伎を取り上げました。歌舞伎はどこに向かっているんだろうということを研究し、レポートにまとめました」

編集部
「舞台を観て、それを資料で調べることで止まらなかった」

関川
「ええ、その時は意識していなかったのですがフィールドワークの面白さを発見しました」

編集部
「高校でも歌舞伎の研究は続けたのでしょうか」

関川
「高校時代は、小学校から続けていたラグビーが中心ではあったのですが、様々な本を読む中で歌舞伎から芸能史へと興味の範囲が広がっていったんです。能とか狂言、踊りと舞いの違いって何だろうというようなことです。そこで民俗学の柳田國男とか折口信夫に出会った。フィールドワークって楽しそうだなって、意識して考えるきっかけになりました」

「山田洋次監督が憧れだった」

編集部
「影響を受けた方はいらっしゃいますか」

関川
「影響を受けたというよりは、映画監督の山田洋次さんには憧れていました」

編集部
「どのようなところに憧れを感じていたのでしょうか」

関川
「自分で脚本を書き、メガホンをもち、指揮をとる。総合演出の領域ですね。自分が演じるのではなく、統括するということでしょうか」

編集部
「それはいつごろのことですか」

関川
「高校生です。夏と年末年始には必ず“男はつらいよ”を観に行っていました」

編集部
「高校の時に、表現することを将来の夢としてもっていたのですか」

関川
「そうですね。ただきっかけは、小学5年のときです。歌舞伎とかを観る中で、自分で脚本を書くことが好きになっていました。そこで小学5年の夏休みに、見よう見まねで10ページちょっとの台本を書いてみたんです。それを先生に見せたら、実際に劇としてやることになった。カタチになる喜びがありましたね」

編集部
「どのような物語を書いたのでしょうか」

関川
「僕は新宿に住んでいて、当時、いまの都庁の場所は空き地で子供たちにとって野球をする場所だったんです。そこにビル建設の計画が持ち上がり、区長がOKしてしまう。子供たちは野球をやる場所が無くなってしまうので猛反対するわけです。この子供たちの熱意に区長が最後に負けて、ビル建設が中止になるというストーリーです。タイトルは、“都会の子供たち”だったかな」

編集部
「そのとき、どのような感想を持ちましたか」

関川
「芝居を観るのはもちろんですが、ドラマを作るのも好きなんだって自覚しました」

編集部
「それは役者としてではなく、演ずる側ではない立場からの視点で抱いた気持ちということでしょうか」

関川
「そうですね。一言で言ってしまえば裏方です。自分は前に出る人間ではない。裏方の人間だという意識は、常に持っています。台本を書いて、それを書いた通りに喋ってくれるのを聞いたり、見たりすることが僕にとっての喜びだったんです」

編集部
「小学生の時に衝撃を受けた歌舞伎との出会い、自分が書いた台本が劇としてカタチになる喜び。中学・高校の時に出会ったフィールドワークの楽しさ。歌舞伎から芸能史・民俗学への興味の広がり。そして大学への進学。振り返っていかがですか」

関川
「自分の中では、一貫した道を歩んできたと思っています。小学生の頃の体験が小さなきっかけで、いろいろな“やりたいこと”を徐々に具体化させてきた。就職活動の時もそうです。自分の過去を振り返るのではなく、いままでやってきたことの延長線。簡単に言ってしまえば、“何になりたいか”ということではなく、“何をやりたいのか”という選択眼で就活に取り組んでいました」

シゴトの3ヶ条

1 関川さんにとって仕事とは?
        ・・・逃げないこと。自分にとって嫌だと思うことほど、正面から向き合う。
2 関川さんにとって仕事でのこだわりとは?
        ・・・朝、誰よりも早く来る。人と比べてダッシュがきかないタイプなので、
            早めに出社してウォームアップして、みんなに追いつくこと。
3 関川さんにとって仕事の必須アイテムとは
        ・・・シャーボ。赤と黒のボールペンとシャープペンが絶対条件。

後編につづく

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